イタリアの新聞が日本について取り上げる頻度は、日本の新聞がイタリアについて取り上げる頻度より断然高い気がします。政治、経済、文化、料理。少し前には、「BABY METAL」(ベイビーメタル)という日本の少女バンドが取り上げられていました。
一昨日もまた、イタリア最大手新聞のLa Repubblica(ラ・レプッブリカ)の週刊サイトL’espresso(レスプレッソ)にて日本のある社会現象が話題になりました。新聞記事の見出しはこうです。
Hikikomori: gli adolescenti chiusi in una stanza, Il disagio giapponese dilaga in Italia
ひきこもり:若者が一つの部屋に閉じこもる。日本の不安、不快感はイタリアにも蔓延している。
Le stime parlano di 30 mila casi ma potrebbero essere di più i giovani che non vogliono uscire dalla loro camera per mesi, a volte anche per anni.Tra i sintomi del malessere, avversione per la società, fobia scolastica e fuga in Rete.Lo psicoterapeuta Piotti:
«Più che di depressione si tratta di un sentimento di vergogna»
何か月も、または場合によっては何年も、自分たちの部屋から出たがらないイタリア人の若者がいるケースが、推定で30000件、またはさらに多い可能性がある。倦怠症状、社会への嫌悪感、学校恐怖症、ネット依存などの背景で。心理療法士のピオッティ氏によると、
「うつ病によるものというより、自分を恥じ入る気持ちから」
記事を要約するとこうです。
(1)ひきこもりという現象は、奇妙な現象として日本全体の問題だった。しかし、今ではヨーロッパやイタリアにもひきこもりが存在するようになった。
(2)イタリアでは2007年にひきこもりと診断されて以来、この現象は成長を続けている。
(3)イタリアでは現在、推定で2万人~3万人ほどひきこもりがいる。。フランスでは8万人。一方の日本は、50万~100万人ほど存在すると言われている。
(4)ひきこもりとうつ病はとても異なる症状だが、より一般的であるうつ病と区別するのは困難。
(5)心理療法士のピオッティ氏によると、「ひきこもりはネット社会、ネット依存によるものというより、社会全体のプレッシャーによるものと見られる。自分は社会にうまく適応できない、自分は社会で生きるに値しない、と考え、社会から逃げるようになる」
イタリアでもうつ病はよくある症状
日本人にとって、イタリア人のイメージは、「明るくて、冗談を言って、よく食べて飲んで、人生を楽しんでいる」というような社交的なイメージで、「引きこもりやうつ病からはほど遠い性格」のようだと思うのですが、実際はどうかというと、そういう人ばかりではないという印象を持っています。
記事によると、ひきこもりとうつ病は全く違う症状ということなので、一緒にするつもりはないのですが、イタリア人の精神不安という面に対して、少しイタリアで知り得たことについて書いてみたいと思います。
精神科医の医者をしているイタリア人や、精神不安の人たちのカウンセリング・センターで働いているイタリア人の知人・友人がいるのですが、連日、多くの躁うつ病の患者や精神に病を患っているイタリア人がセンターを訪れると話していました。
また、私の周りのイタリア人の友人・知人たちの中にも、深刻な躁うつ病を抱えている人、うつ状態の時はひきこもりがちになる人、などもいます。彼らの特徴としては、約束の時間よりだいぶ早く来る、ということが見受けられます。ほとんどのイタリア人が遅刻がちなだけに、時間通りを通り越して早めに来て待っているというのは珍しく、一層印象に残っています。私は精神科医ではないので、それらの態度が症状とにか関係があるかについてはわかりませんが、イタリアで実際暮らして受けた印象です。いかに、表面的なイメージと現実とは違うものかと、イタリアに実際暮らしていて実感しています。そんなイタリアなので、日本の「ひきこもり」現象は他人事ではなく、とても興味深い現象のようです。
HIKIKOMORIが世界の共通語に
OMOTENASHI(おもてなし)をはじめ、TSUNAMI(津波)やJUDO(柔道)などは世界の共通語になっていますが、あらたにHIKIKOMORI(ひきこもり)も世界語になるのでしょうか。グーグル・イタリアでHIKIKOMORIと検索すると、いくつものコミュニティサイトが出てきて、イタリアでも問題が深刻化しつつあることを実感しました。
きたとしかず says
私がイタリアにいた2002年頃、日本から届いた新聞か雑誌にひきこもりについての記事がありました。
国際的な学会でひきこもりについて発表したところ、海外の医師達は「それのいったいとこが問題なんだ?自分の意思で出ればすむことで、病気でもなんでもないじゃないか」と全く理解されなかったというものでした。
この日本独特の現象の原因に日本の「察する」文化があると。
言わなくても解る、空気を読むといったことが当たり前な日本ですが、コミュニケーションが苦手な最近の若者がそれにアジャストできずひきこもりに走るというようなものだったと思います。
当時イタリア生活でほんとうに彼らは勘が悪いなとか、分かり切ったようなことも言わないと分かってもらえないと感じていたので「なるほど!なんでも口に出してしまう彼らはひきこもりにならないわけだ」と妙に納得した覚えがあります。
兎に角、話好きなイタリア人の間でもついにひきこもり理解されるようになってしまったんですね。
Mako says
きたとしかずさん、いつもコメントありがとうございます。実はきたさんが書かれた日伊におけるコミュニケーションの違いについて、ちょうど一つ記事を書いているところなんです。きたさんとまさに同意見でして。ほとんど書き終わってるのですがもう何か月も推敲を重ねていて、まだアップできていないのですが、近いうちにアップしますので、またその時にご意見よろしくお願いします。
2002年といえば、リラからユーロに切り替わって、イタリアの経済が下降を始めた頃だと思いますが、今のどん底の景気よりはまだ景気が良かった頃だと思います。そして、この時代はまだ携帯電話もインターネットも今ほど発達していません。何も変わらないと言われるイタリアでも、やはり時代の波の影響は受けています。